この記事には重大なネタバレが含まれています。
『ほの暮しの庭』のストーリー終盤、主人公とコダマの正体、エンディングの分岐や結末について詳しく触れています。未クリアの方はご注意ください。
『ほの暮しの庭』のストーリーをクリアしました。
農業や村での生活を楽しむゲームだと思っていたら、物語が進むにつれて明らかになっていく村の秘密。
終盤には、想像していた以上に重い展開が待っていました。
特に印象に残ったのが、最後に迫られる2つの選択です。
どちらにも救いがあるようで、何かを犠牲にしなければならない。
そんな簡単には割り切れない結末でした。
私は最終的に、主人公とコダマが一緒に帰る「一緒に帰ろ」(通称:左ルート)を選びました。
右ルート「ここに残る」については、自分でプレイしたわけではなく、動画で結末を確認しています。
この記事では、2つのエンディングの違いを整理しながら、私が左ルートを選んだ理由や、苗木となったコダマの未来について考えたことを振り返っていきます。
『ほの暮しの庭』エンディングの左ルート・右ルートの違い
物語の終盤では、主人公とコダマの行く末を決める選択を迫られます。
ここで重要になるのが、それまでプレイヤーが操作してきた主人公の身体は、もともとコダマのものだったという事実です。
主人公の正体は神様であり、コダマの身体を借りて村で生活していた存在でした。
村人たちと交流し、農業をして、一緒に過ごしてきた日々。
その身体の本来の持ち主がコダマだったと知ると、最後の選択にも重い意味が感じられます。
ゲーム内で提示される選択肢は、次の2つです。
| 分岐 | 選択肢 | 主な結末 |
|---|---|---|
| 左ルート | 一緒に帰ろ | 主人公とコダマが一緒に帰る。主人公は片目の視力を失い、コダマは苗木になる |
| 右ルート | ここに残る | 主人公は残り、元の身体を取り戻したコダマが村へ帰る |
左ルート「一緒に帰ろ」の結末
私が選んだのはこちらのルートです。
主人公は片目の視力を失うことになりますが、コダマと一緒に村へ帰ることができます。
ただし、コダマが以前のような人間の姿で帰ってくるわけではありません。
コダマは小さな苗木となり、主人公の庭に植えられることになります。
ようやくコダマと分かり合えたのに、これから普通に会話したり、一緒に遊んだりできるわけではないんですよね。
その一方で、印象に残ったのが村人たちが主人公を迎える場面です。
大穴の上から、村のみんなが主人公を心配して助けに来てくれます。
これまで村で築いてきた人間関係が、最後にこういう形で表れるのは嬉しかったですね。
右ルート「ここに残る」の結末
もう一方の右ルートでは、コダマが元の身体を取り戻して村へ帰ります。
本来の持ち主に身体が返されるという意味では、一見するとこちらも良い結末に思えます。
しかし、コダマは村に戻っても、自分の正体を村人たちに明かしてはいけないと言い聞かされています。
つまり、これからは主人公として生きていかなければならないわけです。
また、こちらのエンディングでは、村人たちが迎えに来る場面にも違いがありました。
動画で確認した限りでは、ラスボス戦に同行したメンバー以外の村人たちは迎えに来ません。
左ルートと比べると、どこか寂しさを感じる結末でした。
私が左ルート「一緒に帰ろ」を選んだ理由
自分の身体なのに、自分自身として生きられないコダマ
右ルートについて、私が一番引っかかったのはここでした。
コダマは自分の身体を取り戻したのに、自分自身として生きることができない。
これがあまりにも残酷だと思ったんです。
村人たちが慕っていたのは、プレイヤーが操作してきた主人公です。
同じ身体であっても、主人公とコダマは別の存在。
本当のことを明かせない以上、コダマは主人公を演じながら村で暮らし続けることになります。
自分の身体を取り戻せたのに、自分ではない誰かとして生きていく。
それは本当に幸せなことなのでしょうか。
もちろん、コダマが村人たちと新しい関係を築き、幸せを見つける可能性もあります。
ただ、私はこの結末に、ある意味ではバッドエンドのような印象を受けてしまいました。
クリア後も村で生活を続けられるゲームの仕組みを考えれば、コダマが主人公として振る舞う設定も必要だったのかもしれません。
それでも、物語として考えたとき、あまりにも苦しい結末だと感じたんですよね。
村人たちが迎えに来る演出の違い
もうひとつ印象に残ったのが、村人たちの描写です。
左ルートでは、村のみんなが主人公を心配して迎えに来てくれます。
農業をしたり、村人たちと交流したり、少しずつ関係を深めてきたり。これまで過ごしてきた日々を思い返すと、とても嬉しい場面でした。
一方、右ルートではラスボス戦に同行した仲間たち以外は迎えに来ません。
なぜそのような演出の違いがあるのかは分かりませんが、同じ物語の最後なのに、これほど受ける印象が違うのかと思いました。
私にとっては、村のみんなが迎えに来てくれる左ルートの方が、ずっと温かく感じられました。
片目を失う代償にも納得できた
左ルートを選ぶうえで、少し迷うところもありました。
それは、主人公が片目の視力を失ってしまうことです。
コダマと一緒に帰るためとはいえ、あまりにも大きな代償ですよね。
ただ、ここで思い出したのがキスケのことです。
キスケも主人公を助けるために、自分の目を傷つけています。
キスケは左目を自ら潰してしまったので、ずっと眼帯をつけています。

彼もまた、大切な人を守るために自分の身体を犠牲にしていたんですよね。
もちろん、だからといって片目の視力を失うことが軽い話になるわけではありません。
それでも、大切な相手を守りたいという気持ちは、主人公もキスケも同じだったのだと思います。
キスケが主人公を救ったように、今度は主人公がコダマを救おうとする。
そう考えると、私はこの代償にも納得できました。
何も失わずに済む結末ではなかったけれど、それでも守りたかったものがある。
だからこそ、左ルートを選んで良かったと思えました。
苗木になったコダマは、これからどうなるのか?

左ルートのエンディングを迎えたあと、私が特に考えたのがコダマの未来についてです。
コダマは小さな苗木となって村へ戻り、主人公の庭に植えられます。
キスケも、その木がいつか大きく成長する未来を思い描いているようでした。
では、コダマはこの先どのような姿になるのでしょうか。
最初は再び怪異の姿になると思っていた
エンディングを迎えた当初、私は苗木になったコダマが何年もかけて成長し、いずれ以前のような怪異の姿になるのだろうと思っていました。
決して普通の人間の姿ではありませんが、少なくとも以前のコダマは言葉を話すことができました。
この樹木と一体化した、お化けのような姿ですね。

もし再びあの姿になるのであれば、主人公やキスケと会話することもできるかもしれません。
以前とは違い、お互いの気持ちを理解できた今なら、怪異の姿になったコダマとも仲良く暮らせるのではないか。
そんな未来を想像していたんです。
ただ、改めてストーリーを振り返ってみると、少し疑問が湧いてきました。
土地神を倒した今、以前と同じ姿になるとは限らない
物語の最後には、明確に「土地神を殺す」という選択肢があります。
私はこの選択によって、少なくとも村が長年苦しめられてきた土地神の祟りからは解放されたのだと解釈しています。
もちろん、土地神を倒したからといって、村から怪異そのものが消えたわけではありません。
クリア後も村には怪異が存在しています。
ただ、以前のコダマが樹木と一体化した恐ろしい姿になっていたのは、土地神に囚われていたことが関係しているのではないでしょうか。
そう考えると、元凶となった土地神がいなくなった今、苗木から成長したコダマが再び同じ姿になるとは限りません。
もしかすると、そのまま普通の木として大きく育つだけなのかもしれない。
最初は怪異としてのコダマに戻るものだと思っていましたが、考察していくうちに、そんな可能性もあるのではないかと思うようになりました。
もっとも、コダマがあの姿になった原因が、すべて土地神の影響によるものだったのかは分かりません。
今後どのような姿に成長するのかも、作中で明確に示されているわけではないため、ここからは私なりの想像です。
怪異として再会する未来も、普通の木として成長する未来も
もしコダマが普通の木として成長するのなら、それはそれで良い結末だと思います。
庭に根を張り、長い年月をかけて立派な木になる。
主人公やキスケがその木の下で過ごす姿を想像すると、コダマがこれからもそばで見守ってくれているようで、温かい気持ちになります。
ただ、ひとつ寂しいこともあります。
それは、コダマと会話できなくなるかもしれないということです。
普通の木として成長した場合、コダマ自身の意識や人格はどうなるのでしょうか。
言葉を話せなくても、以前と同じように意思を持っているのか。それとも、本当にただの木になってしまうのか。
そのあたりも分かりません。
一方、怪異の姿になれば、また言葉を交わせる可能性があります。
主人公やキスケと話したり、これまでできなかったことを一緒に楽しんだりできるかもしれません。
ですが、コダマ自身が再びあの怪異の姿になることを望んでいるかは分からないんですよね。
怪異として話せるようになることが幸せなのか。
それとも、穏やかに一本の木として生きていく方が幸せなのか。
考えてみても、簡単には答えが出ません。
ただ、ひとつだけ変わらない気持ちがあります。
どんな姿になったとしても、コダマには今度こそ幸せになってほしい。
以前のように土地神に囚われ、孤独や苦しみを抱え続けるのではなく、主人公やキスケのそばで穏やかに過ごしてほしいと思っています。
そして、もし再び会話できる日が来るのなら、それはとても嬉しいことですね。
エンディング全体の感想|完全なハッピーエンドではないところが良かった
『ほの暮しの庭』のエンディングには、おおむね満足しています。
特に良かったのは、すべての問題が都合よく解決するような、きれいなハッピーエンドにならなかったところです。
主人公は片目の視力を失い、コダマも以前のように人間の姿で戻ってくることはできません。
右ルートを選んでも、コダマは自分の正体を隠しながら生きていかなければならない。
こうした割り切れない結末には、日本一ソフトウェア、特に『夜廻』シリーズを手がけたチームらしい雰囲気を感じました。
悲しい出来事がすべてなかったことになるわけでも、傷ついた人たちが急に幸せになるわけでもない。
それでも、これから先に希望は残されている。
そんな終わり方が私は好きです。
ストーリーにはまだ気になる謎も残っている
エンディング自体には満足していますが、物語全体を振り返ると疑問に思った部分もありました。
例えば、ナゴを村に引き入れたキスケの本当の意図や、トバリの生い立ち。
そして、主人公である神様がなぜ記憶を失っていたのかという点も気になっています。
作中の描写を自分が十分に理解できていない部分もあるとは思いますが、もう少し詳しく説明してほしかったというのが率直な感想です。
特に、土地神や神器に関係する部分は複雑で、クリア後も考えさせられることが多かったですね。
これらの謎については、エンディングの感想とは別に、改めて整理して考察してみたいと思っています。
キスケの好感度6イベントも印象に残った

もうひとつ印象に残ったのが、キスケの好感度6イベントです。
私はストーリーをクリアした後にこのイベントを見たのですが、エンディングのちょっとした後日談のように感じられました。
そこでは、キスケがコダマに抱いていた後悔や、主人公への思いが語られます。
普段は強がっているキスケが、自分の弱さを見せてくれる場面でもありました。
その姿を見て、キスケという人物をさらに深く知ることができたと感じています。
エンディングを迎えても、登場人物たちの心の中では、まだ物語が続いているんですよね。
このイベントについては印象に残った場面も多いので、別の記事で詳しく振り返りたいと思います。
まとめ|私は左ルートを選んで良かった

『ほの暮しの庭』のエンディングは、どちらを選んでも簡単には割り切れないものでした。
右ルートではコダマが元の身体を取り戻せますが、自分自身として生きることは難しくなります。
左ルートでは主人公が片目の視力を失い、コダマも苗木として新たな時間を過ごすことになります。
どちらにも救いと犠牲があるからこそ、最後の選択には重みがあったのだと思います。
私は、コダマが自分を偽って生きるよりも、たとえ姿が変わってしまっても、これからの未来に希望が残されている結末を選びたかった。
苗木になったコダマが、いつかどんな姿に成長するのかは分かりません。
再び言葉を交わせる日が来るのか、それとも一本の立派な木として、主人公やキスケを見守り続けるのか。
どちらの未来にも、嬉しさと寂しさがあるように思います。
それでも、もう土地神に苦しめられることなく、コダマが穏やかに過ごしてくれるなら、それが一番なのかもしれません。
完全なハッピーエンドではなかったけれど、私は左ルートを選んで良かったと思っています。
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